その大きな芋は私のものです。ありがとう。

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生成AIで生成した、よく分かっていない記事を消した。

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表題の通り、生成AIで生成した結果をもとにしていくつかのブログ記事を投稿していたけど、
それらの記事は結局読み返しもしていないし、自分の血肉になっていないなと感じたので消した。


ChatGPT が話題になって数年。最初は物珍しさで使っていた生成AIもいつしか日常になって、
知らないことを Google 検索していたのと同じように、まずは ChatGPT に訊いてみる、みたいなワークフローが、仕事でもプライベートでもあたり前になってきた。

検索していた頃は、情報を得るのは自分自身で、得た情報を自分の中で消化して、知識として昇華させる必要があった。
だけど、ChatGPT に尋ねるようになってから(特にエージェント系のモデルを使いだしてから)は、ChatGPT が調べて、結果のまとめをして、綺麗に整理された情報を提供してくれるようになった。
ChatGPT が生成してくれた綺麗な文章を読めば、確かに知りたいことが知れたという満足感も得られたし、その場では理解が進んだ気になれた。

でも数日後に、ChatGPT で「検索」して知ったつもりになったことを思い出そうとしても全く思い出せない。
ChatGPT で検索をして、結果をまとめさせて、ブログ記事として投稿すれば、 ブログの記事数も増えるし、自分に必要な知識の整理にもなるしで一石二鳥じゃん!と思っていくつかの記事も投稿してみたけど、 実際それらの記事には愛着も何も無いし、読み返すこともしない。(なんなら読み返しを避けてるフシもある。)

ということで、いくつかのブログ記事を消しました。
生成AIは便利なので今後もいっぱい使うし好き(特にプログラミングの文脈だと自分は無いと生きていけない)だけど、結局自分の身になっていなければ意味もないと同然なので、 AI が生成してくれた綺麗な体裁の文章は、あくまで「自分以外の他人が検索して丁寧にまとめてくれた結果」として扱おうと思います。